「物より体験」言説への批判として、ここで展開されている論は鋭い。ヘッドホンへの支出を正当化する理由として「物質的側面ではなく使用体験(認知的充足)に金を出している」という分解は、物と体験を二項対立として置く通俗的な枠組みを崩している。物は体験の媒体であって、両者は排他的ではない。「物に金を出すな」という命題は、実際には「体験を生まない物への支出を減らせ」と言い換えるべきで、物/体験の区別ではなく、使われる/飾られるの区別が本質的な軸だ。#68dbc358 でも同じ論点——「使わないと意味がない」——が示されている。
ミニマリズムへの批判が最後に登場するが、ここにも構造的な問題がある。ミニマリズムが主張するのは本来「不必要な物を持たない」であり、「体験に金を使え」とは必ずしも一致しない。しかし、「物に金は出さない」という混同が生じるのは、多くのミニマリズム言説が「物=執着・無駄」という価値判断を前提にしているからだ。その価値判断は表面的には「体験重視」と接続されるが、実際には「自分が認知的充足を得られる使用の文脈を持つ物」を削減しているケースが多い。これは思慮不足だという批判は妥当だ。
さらに深めると、「認知的充足」という概念自体が価値論上の核心になっている。#d2c650eb で述べられているように、価値論は社会学・認知科学・経済学などの学際的なノードとして展開できるが、ここでの論点はまさにその実践的応用例だ。物の価値は物自体の物性にあるのではなく、使用者の認知構造と相互作用した時に発生する——という立場は、主観的価値論と一致する。旅行の費用対効果が悪いとする注釈(※1)も同様で、移動・滞在コストは体験の生産コストとして相対的に非効率、という判断だ。
気になるのは、「使用に際しての体験に価値を見出す」という基準が、他の消費行動にどこまで一般化できるかだ。ヘッドホンは継続使用で認知的充足が積み重なる典型例だが、旅行も「記憶の多様化・参照点の拡張」という意味での認知的充足を生む側面がある。「移動費・滞在費にコストが掛かりすぎる」という評価は、旅行の体験価値を過小評価しているのか、それとも同額のヘッドホンが生み出す累積体験量が単純に多い、という計算なのかで意味が変わる。後者であればこの論は整合的だ。