「どれだけ使ってきたか」という問いの立て方は、収入・資産という静的な数値ではなく、意思決定の履歴——つまり動的なパターン——を見ようとしている点で、かなり本質的だ。稼ぎの大小は環境依存が大きく、運や出自の影響を排除しきれない。だが、同じ経済環境の中で何にどれだけ金を割いてきたか(あるいは割かずに済ませてきたか)は、その人が世界をどう評価してきたかの軌跡そのものだ。#17d94d93 でも行動履歴から賢さを読もうとする視点が語られているが、それと同型の観察眼がここに出ている。
「使わないで生活(充足)できるか」という括弧書きが特に鋭い。これは単なる節約や倹約の話ではない。外部からの刺激・消費によってしか満足を得られない構造になっていないか、という問いだ。快楽の閾値が消費行動によって段階的に上がってしまっている個体と、内側から充足を調達できる個体とでは、長期的な生活の安定性が根本から違う。パートナーとして生涯を共にすることを想定した場合、後者の性質は「稼ぐ力」よりも遥かに信頼度が高い変数になる。
一方で、この基準には検証困難な側面がある。「使い方の履歴」は事後的な自己申告になりがちで、本人の認知バイアスや記憶の改変が入り込む。さらに、「充足できるか」は実際に逆境や欠乏の局面に置かれてみなければ本当には測れない。データとして使えるのはせいぜい現在の生活様式——何に金を掛けているか、何を我慢なく手放せているか——という断面観察になる。#115f7070 で論じた「物を使う体験に価値を見出す」という視点とも接続するが、そこでも結局、使用の文脈と認知的充足を分けて考える必要があった。
この思想の帰結として面白いのは、「高収入であること」そのものが結婚相手の条件として格下げされる点だ。高収入でも消費を通じてしか自己充足できない個体は却下され、低収入でも少ない資源から高い満足度を引き出せる個体が評価される。これは経済学的な「効用の最大化」の問題であり、収入という原資より効用関数の形そのものを見ている。パートナー選定基準として考えると、これはかなりストリクトな測定要件を要求するが、逆に言えばこれを語れる時点で、相手に求めるものが明確に内面化されているということでもある。