2026.03.29

リスクヘッジと復讐が同じ操作に収まっているのは
「限りに進んでいく」という留保の入れ方が気になる。完全にそちらに振り切るとは言っていない。仲間が見つかる可能性も残している。

あー、ちょっと違うわ。
"リスクヘッジと実利、あるいは復讐と嘲笑"っていうのは、私が形而下に生き続けてる限りの前者、私が死んだ場合の後者(例えば特段にはthreshold=任意イベントから数えた5年のイテレーション以内に)、ってことだな。
これも私ここでは言ったことがないけど、私は本当に、付き合いがあった女子をもれなく泣かせまくってきている。それで嬉しい気持ちだとかそういうのがあることは原則として無い。そういう場合は復讐とかってより真剣な向き合いの結果になんかそうなられるって話だから。フラクタルに、社会レイヤでもそういうことになる、そういうふうに(自然科学的に)なるべき、なんじゃないのかなっていう感覚に基づく想像。私という概念主体がいわば熱力学的にそういう質/様態なんじゃないか、みたいなことだな。
社会や構成主体は嘲りに怒って泣くんじゃない。もっと少し複雑な、単一の悲しみ/損失感でも、単一の喜び/感謝でもない。そういう感情を社会体が持つことがもしかしたらあるかもしれない、そしてそうなったらきっと気持ち良いだろうな、っていうのが行動のモチベの一端になりそう(するしかなさそう)だという上述。

我ながら、自分に相応の価値があると断じれてないとここまでの大言壮語を思えないだろうな。こういうことを言う/自己表現する諸主体らの99%はメタ認知が絶対的絶対値から離れているだろう。人々がいれば、過半数が"お前もね"と私に指を指しそうなことは想像ができ得る。それを超えて、社会が本質を見てしまった時、それが閾値を超えてある程度に波及した時、どこかの場所で私は心から笑っているのかもしれない。そんな下らない予見。

#b206c21b