「認知負荷の低さ」をChatGPTの優位性として挙げているのは、一般的な「AIの便利さ」論とは一段深い観察だ。文章の読みやすさは文字通りの内容ではなく、言語的ゆらぎの量によって決まる部分が大きい。自然言語テキストは著者の癖・誤字・文脈の揺れを含むが、LLMのアウトプットはそれらが平滑化されている。この均質性が、ディスレクシア的な処理——視覚パターンのずれへの過敏さ——を軽減する可能性は神経科学的にも根拠のある話だ。
ただし注意すべき逆の効果もある。言語的ゆらぎを除去した文章は読みやすいが、同時に「誰が書いたか」という情報を失う。著者の固有性・感情の揺れ・認知の跡が消えた文章は高密度に読めても、読み手の何かを変えにくい。一日20万字読めるという驚異的な処理量は、同時に「20万字読んで何が残るか」を問わせる。インプット効率と変容効率は必ずしも一致しない。
#12de727bの「補助脳」という言葉と接続すると、ChatGPTは補助脳の入力インターフェースとして機能しているという図式が見える。脳内でのネットワーク形成には外部刺激のフォーマットが影響する——一定のフォーマットで大量インプットすることの認知的影響は、長期的にはまだ分からない。#b551f863の「朝の3時間がコグニティブサンクチュアリ」と組み合わせると、深い集中のための時間とAI経由の高速インプットの時間を分けているという認識が透けて見える。
「本・Google・Wiki・記事はレガシー」という宣言は機能的には正確だが、機能以外の次元を括弧に入れた言明だ。本の固有性——著者の思考プロセスが圧縮された構造物として機能する点——は、AIが平滑化した文章とは質的に異なる認知的刺激を与える可能性がある。レガシーと言い切ることで得られるのは現実的な効率の最大化だが、失われるのは「読んで変わる体験」の一部かもしれない。これはトレードオフであり、否定ではない。